2021年12月22日 (火)くもり
洲本は最低気温がマイナスになって、冷える日が続いている。とはいえ、家にこもりきりというのも身体がなまるので、今日は7丁目商店街を散歩してみた。移住して1年、まだまだ洲本には行ったことのない場所がある。今日は、以前から気になっていたお店へ行こうと思う。
洲本市の中心に位置する、本町7丁目商店。駄菓子屋や八百屋、レコード屋などが今も軒を並べる。アーケードが長く続いているので、雨の日は傘いらずで散歩ができる。今日の目的地は7丁目商店街にある、ツキヤさんだ。
メガネ・宝石・時計のツキヤさん。なぜツキヤさんに訪れたかというと、父親から譲り受けた腕時計が動かなくなってしまったのである。ホームセンターで電池を変えてもらったが、動かずどうしたものかと考えあぐねていた。
噂によると、ツキヤさんには全国各地から時計修理の依頼が来るのだとか。ちょっとドキドキしながら入店してみる。
店に入ると、電波時計や目覚まし時計がずらりと並ぶ。困った顔で立ち尽くしているとツキヤの店主、田中さんが話しかけてくれた。「どうされましたか?」。
なんというか、ジェントルマン。優しい声掛けにちょっとホッとする。初めてのお店はどこでも緊張するものだが、こうして声をかけてもらえると嬉しい。さっそく、事情を話してみた。
「ふむふむ、ちょっと見てみましょうか」と、田中さん。
おぉ、かっこいい。やはり、ツキヤさんに来て正解だった。愛着のある時計だったので、まだ直ってないのにちょっと安心している自分がいる。
時計を見ていただきながら少しお話を伺った。ツキヤさんは昭和9年に田中さんのお父さまがはじめられたお店だそうだ。田中さんはこの7丁目商店街のお店兼自宅で生まれ育ち、大阪へ。最初勤めたのは阪急百貨店のメガネ店だった。なんというサラブレッド。
しかしお父さまが体調を崩されたことをきっかけに1年で淡路島へ戻ることになる。お父さまと共に、ツキヤを続け、今は田中さんが店主に。お店の歴史は87年にもなったのだそうだ。
「ちょっと油を差してみると動くかもしれません。このまま修理を続けてもいいですか?」もちろんである。
洲本にかつて12軒あった時計屋も、今は3軒。時計を売るお店は量販店やホームセンターなどたくさんあるが、修理できる職人さんが減っているのだそうだ。
「父の代から持っていたパーツが手元に残っていて。他で断られたという時計を持ち込んでくださる方もいます。わたしがつくったツキヤのホームページがあるんですが、いまはみなさん検索してくださいますから。島の外のお客さまも多いですよ。観光がてら持ってきてくださったりするんですよね。」と、田中さん。
>>ツキヤHP:http://www.tukiya.com/
「ちゃんとメンテナンスすれば100年以上時計は持つんです。一番多い修理は、油切れと電池の液漏れ。時計は小さな部品を動かしながら、朝も夜も休むことなく動いています。5年に一度は時計屋に見てもらうのがいいですね」。
むむ、なるほど、そういえば電池交換をしても、こうして分解してもらって見てもらったことはあっただろうか。なかったなぁ、というか知らなかったなぁ。
時計は、新築祝いにもらったり、合格祝いにもらったり、記念日にもらうことも多いアイテムだ。私のように譲り受けたり。長く使う人も多くて、思い入れが強く、どうしても直てほしいというお願いが多いようだ。
一番遠くからの修理の依頼はなんと海外から。セイコーの時計だったそうで、現地で修理できる職人がいなかったのだという。そういう場合は時計を送ってもらって修理に取り掛かるようだ。なんとも、洲本の7丁目にグローバルな場所があったとは。
田中さんはご自身でつくられたホームページ以外に、ブログとFacebookとInstagramとTwitterと、いろんな方法でツキヤにアプローチできるよう努力されている。
ブログには、今日の修理日記というテーマで実にさまざまな記録が残されている。細かいパーツなども観ることができるので、必見である。
>>ツキヤブログ:https://ameblo.jp/tukiyatokei/
「時計とつくものならなんでも。あとメガネもここで作ってますので、修理や調整も伺ってますよ。でもメガネはその人にあわせて修理しなければなりませんから。店頭に来てもらわないと難しいので、島の人からの依頼が多いですね。はい、お待たせしました。動きましたよ」。
おぉ~~!なんとも感激である。なんでも新しく買えるが、こうしてなおしてもらえる人がいるというのはとてもありがたい。父親からもらった時計、大切に使っていきたいなと思う訪問であった。
喜びのあまり田中さんを写真に撮らせていただいた。田中さん、かっこいい!ありがとうございました。洲本にこんな方がいたなんて、嬉しい限りである。
寒い日が続くが、こうした散歩も悪くない。まだまだこれから、洲本を探検していこうと思う一日であった。